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The missing piece.
どうも、虹乃です。
そういえば、絵本を紹介しようと思っていたのでした。
どれからおすすめしようか、迷っていたのですが、やはりこれから。
『大きな木』などで有名な、Shel Silverstein 氏の”The missing piece” 邦題 『ぼくを探しに』です。
自分の体がまんまるでないのを気に病んだこの子が、
自分にぴったりのピース(piece)を探しに行き、
大きすぎたり、小さすぎたり、尖りすぎてたりなんかして、いろいろ失敗したあげく、
ものすごくぴったりのかけら(Piece)をとうとう見つけるのですが、
まんまるになった自分が、あまりにもすごいスピードで転がっていくので、ついにはそのかけら(Piece)を手放して、ひとりに戻ってしまう。
というお話です。
あ、ちょっとざっくり言い過ぎちゃいました。ゴメンナサイ。
このお話、最初に読んだとき、ものすごく悲しかったんです。
そんなのやだーー!!!って思いました。
パタンと閉じて、もう見たくないって、思ってしまった。
でもね、ふっと、すこーし時間をおいてから、なんとなくもう一度読み進めてみたのです。
じっくりと。
すると、一度目では感じることのできなかった「ああ、そうか」という切ない気持ちが湧き上がってきました。
著者には、おそらく明確なメッセージは常にあると思います。
でもそれを、作品の中で明確に訴えるのか、さりげなく見せるのか、逆説的に語るのか、それはもう作者のやり方はそれぞれです。
自己肯定にあるのだとおもいます。あるがまま、自分らしくあればよいということ。
自分を満たそうとするその過程は、大切なものなのだと思います。
満たせなくてよい、と言っているのではなく、
おそらく、まずは欠けている自分を丸ごと愛することを、認めているのだと思います。
ただし、最後のシーンが、やはり切なく、ひとりになった主人公のもとへちょうちょがとまるのですが、このとき、この子はそれに気づいているのかいないのか。
……これは虹乃の深読みしすぎなのかもしれません。
『死』
わたしは、思うのです。ただし、それはとても幸せな死です。
最後の2ページです。
皆さんはどう思いますか?シルヴァシュタインファンの方から、思いっきりののしられるかもしれません。
しかし芸術作品とはそういうもの。
そこから何を受け取るか、それはわたしたちの自由でもあるのです。
でもこれは、人生の始まりから終わりまでを書いている、そんな気がしてならないのです。
最後まで気づかないかもしれない。
大好きな映画に、クリストファー・ノーランの「メメント」があります。もうお気づきですか?
虹乃のペンネームはここからいただいてます。虹乃は、実は「キョウダイ」の当て字です。
兄弟ノラン、ノーラン兄弟。
(Nolan とNoranの綴りが違うという突っ込みはまた別でお受けします)
その「メメント」の原作脚本となった「メメント・モリ」は、クリストファーの弟であるジョナサン・ノーランが書いた短編小説で、1933年シカゴ創刊の「Esquire」に掲載されたものらしいのですが(原作、pdf)、メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。「死を記憶せよ」などとも訳されます。
『人生とは、探す旅なのだと』
わたしはそう受け止めています。
読んでいただきありがとうございました!
nijino noran.
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