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シック・サンデイ! #古賀コン3
「それからですよ! 僕が高所恐怖症になってしまったのは!」
「なるほど、よくわかりました。しかし古賀サン、お言葉を返すようですが、高所恐怖症というのは、こう、もっと高いビルの上とかですね、断崖絶壁にかかった橋を渡れない、とかですね……」
相談者の悩みに対して、疑問を呈することは絶対にやってはいけない――そんな絶対的なルールを思わず破りたくなるくらい、今日の患者は問題児だった。
心理カウンセラーとして『保健室NIJINO』を開いてから、今年で三年目になる。カウンセラーや認知行動療法をやる専門医は、日本にもそれなりにいるが、あまり馴染みもなくハードルが高いのか、訪れる患者は少ない。
だがそんな日本で、その高いハードルをひょいと超えてくるような類の日本人患者の悩みとは、なんとも深刻でこんがらがっている。簡単な依頼というものがなく、正直辟易している毎日だが、ミスター・古賀はその中でも群を抜いていた。
「階段3段だって、立派な高所でしょう!?」
いやいや、階段3段が登れない程度では、高所恐怖症とは言えないだろうとは思うものの、階段3段でおじけづくということは、当然それ以上の高さにも、上れないんだよな?
「古賀サンは、大学教員をやられていたんでしたね? 演劇を教えておられるとか――」
手元のカルテをパラパラと戻しながら目を落とす。大したことは書いていない。さすがに大学が一階建てということはないだろう。どうしているんだろうか。
「大学ではどうしておられるのですか?」
「あっちは平気ですよ! スロープもあるし、エレベーターもあるから。問題は階段」
「はあ……」
「なんとかしてください! あなた、退行催眠ができるんでしょ? ごまかせませんよ、ぼく調べましたから」
言いながら、ミスター・古賀は親指の付け根のささくれをひたすらめくっている。ささくれというより、もはや皮むけを通り越して、ざくろの皮を剥いたときくらいひどい。
「もう一度最初から伺いましょう」
「梯子に上ったんですよ。寒い冬でした。当時付き合い始めたばかりの彼女に、玄関のひさしにつけたままになっている風鈴を外してほしいと言われて。
そのひさしは結構高いところにあって、僕より背の低い彼女に届くわけがない。『どうやってつけたの?』と訊いたら前の彼氏だというから、そりゃ外さないわけにはいかない。
でも椅子に乗っても微妙に届かなくてですね。日曜日にホームセンターまで出かけて、木材を買い込み、梯子を作ったんです。3段しかない低い梯子ですよ」
キーワードが出てきた。『3段』と口にしたとき、ミスター・古賀の顔が苦々しくなった。
「ほんとはね、5段くらいは必要な高さだったと思います。でもちょっとだけさぼったんだ。そりゃそうでしょ、だって風鈴外すだけなんだから。ひさしには、風鈴をつけるためのU字型の金具も一緒についてました。釘で打ち付けてあった。抜くのは大変でしたが、先端にカニのハサミみたいなのがついてるテコでね、取り外しました」
ミスター・古賀の表情がまた苦々しくなり、沈黙が訪れる。
「それで、どうなりました?」
「部屋で……僕のためにあったかいカフェオレを淹れて、あったかい部屋で待っていた彼女のもとに、『外したよ』と意気揚々と戻りました。そしたら、僕が手にしたU字金具を見て、『え、それまで外しちゃったの?』と嫌な顔をされた」
「なるほど……」
「それは使うからつけ直してくれ、といわれて僕はまた梯子を上った。3段しかない、その場しのぎで作ったぐらついた梯子です。訊けばその金具も、前の彼氏がつけたものらしい。それを僕にまたつけろと言う、……っう!」
「外してほしかったのは、風鈴だけだった、ということですね」
「そうです! この調子じゃ、また夏になれば『風鈴つけてくれる?』と言われるんじゃないかと嫌な予感しかしませんでしたよ。男の嫉妬心を全然わかっちゃいない! そもそも夏まで恋人としての僕の立場が保たれるかどうかも怪しいと思った。最悪の日曜日だ」
ミスター・古賀の怒りが伝わってくる。
「U字金具と、かなづちを握りしめて、ふたたび梯子に上りましたが、その釘の打ちつけにくいことと言ったら! 足場も悪いし! 情けなくて僕は泣きそうでした。いったん抜いた釘を、1本目を打ちつけ、2本目を打ちつけ……そうしているうちに視界が歪んで……僕は間違って、親指に釘を思い切り打ちつけてしまったんです」
「なるほど、その傷はそういうわけでしたか。痛そうですね」
「ああ、これはそのときの傷じゃありません。でも同じ場所です」
ミスター古賀は親指をしきりに触る。
「たくさん血が出て、何より痛くて、僕はそのまま梯子から落ちた。倒れた衝撃で梯子も壊れましたし、しかもU字の金具は釘が足りずに、中途半端にひさしにぶら下がったままで……」
「散々でしたね」
「それで、最悪なのはそこからです。彼女はコロスキン信者だったんです!」
「コロスキン? それはなんですか?」
「コロスキン知りません? 接着剤みたいな傷薬ですよ。殺菌剤なんでしょうけど、セメダインかアロンアルファそのもの。彼女は、『わー』と驚くと、タオルで血を拭ってから、コロスキンをぶちゅっと塗り付けた」
「ほう……」
この話はどこへ向かって収束するのだろうか。
「激痛なんてものではなかった。想像してみてください! 出来立てほやほやの傷口に、セメダインを塗り込むんですよ!? あれはアロンアルファみたいなものです! 一瞬で固まって、はがそうとすれば、皮膚ごとベロッといってしまいますし」
「それで、どうされたんですか」
「いやいや、『これつけとけば平気だから』と彼女は平気な顔で言って、ぶら下がったままのU字金具から目を離さなかった。……僕たちの関係はそれで終わりました……」
「指は、もしやそのままに?」
「コロスキン? まさか、もちろん剥がましたよ! それでも三週間くらいかかったんじゃないかな。なにしろ深い傷だったし、ネジ式の釘だったから傷跡ががたがたで、皮膚が――」
痛々しい。トラウマであることは間違いない。
「ああ、詳しくは結構です、もうそれくらいで。それであなたの克服されたいのは……?」
「だから、高所恐怖症ですよ! 自宅玄関の階段! 2段目までは登れるんです。でも3段目に踏み出せないんだ! 無理やりのぼれば吐いてしまう。あの日の記憶をなくしてください! 退行催眠ができんだ、それくらい楽勝でしょ?」
「退行催眠は、理由のわからない原因を探るために使うんです。隠された記憶を思いださせるために行うわけで……。古賀サン、あなたの場合理由をはっきり覚えていらっしゃるようだから、退行催眠が役に立つとは思えませんが」
「家の3段の階段が上れないから、大学の研究室に泊まり込んでるんですよ。だけど月曜は講義があるから、日曜日は家に帰ってシャワーを浴びる。だから僕は毎週日曜に必ず吐いているんだ! 僕の記憶を消してください!」
「3段の梯子に重なって、トラウマになってしまっているわけですね……」
「認知行動療法にもいきましたが、ひどいものでした。『そこに傷が残っているうちは思い出すだろうから、まずは傷をめくらないようにしましょう』と、親指に絆創膏貼られて」
「それは理にかなっているように思いますが」
「いやいや、いやな記憶だから楽しくしようとか、絆創膏の上からスマイリーマークの黄色いシールまで貼られて!」
「ふざけてますか?」
「ふざけてませんよ! 僕は超真剣です!」
必死に語りながらも、親指のささくれをめくり続けるミスター古賀に同情の念が湧いた。
「仕方ありません……。そこへ横になってください」
ソファに横たわるミスター古賀の表情に、安堵が浮かぶ。ようやく理解者を得た、という顔だった。過去の風鈴の記憶を消すことはそう難しくはないが、親指の傷を触るなというのは、かなり難しいだろう。すくなくとも触り続けている限り、思い出すきっかけとして残ってしまう。
どうすればよいだろうか……。考えた末、認知行動療法士のアイデアを拝借した。ミスター古賀は目覚めると、晴れやかな顔で帰って行った。彼にかけた催眠を解かないままに送り出す。
*
僕は階段を三段のぼり、玄関をあける。
「ただいま!」
誰もいないが晴れやかな気分だ。幻覚なのか、僕の親指にはなぜか黄色いスマイリーマークがくっついている。まあ邪魔じゃないから、これは放っておこう。
なにやらわからないが、今日は最高の日曜日だ。
What a SICK Sunday !!
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#古賀コン3 応募作品
■エンディングロール:「一週間」ロシア民謡
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【12/12追記】
◇主催:古賀裕人氏(X)
◇応募全作品(77作品)
◇人気投票ページ(Dec 11~15, around 1 p.m.)※ひとり一回
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【12/16追記】
◇結果発表 観覧者投票数、総81票のうち、得票数7票(同率一位)にて、🎅賞をいただきました✨
『シック・サンデイ!』に投票いただいたみなさま、本当にありがとうございました!
12/15にXのスペース機能を用いた ハギワラシンジさんの #ブンゲイ実況 にて取り上げていただきました。(アーカイブには期限があります)私も少しだけ(?)スピーカーとしてお話させていただきました。お邪魔いたしました。萩原さん、古賀さんとお話しできて楽しかったです。聴きに来てくださったむらさきさんはじめ、みなさま、ありがとうございました!
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