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雨は心に静けさを運んでくるから。
こんにちは。
引きこもり文学大賞、第一回引きこもり文化祭、短文部門で入賞をいただきました。ありがとうございました。
詩はこちらです。
書いたのは、2018年3月21日になっています。前後に続く記事は、『明日も「今日も」といえますように。』と、『まだ寒い。でも歩き続ければあたたかい。』でした。
このころの私は、(今とあまり変わりませんが)ひたすらに書く以外は、ほとんど家から出ず、一日のうちでやる特別なことと言えば、ばあちゃんが遺した鉄瓶で湯を沸かすこと。それくらいでした。
当時、猫が二匹いて、彼らのごはんが切れると、なんとかドラッグストアへ行き(歩いて2分)、カリカリを買う。この翌年辺りからサイトの更新がぱったり止まる時期が来ます。完全に寝込み、お風呂も一週間入らない(あまり変わっていない気もします……)。
外の音を聞きたくなくて、それでも静寂が怖く、何かを打ち消すようにヘッドフォンをして、激しいノイズを常に流していなければ耐えられない。そんな時期を過ごしていたような、そんな気がします。いえ、はっきり覚えてはいるのですが。
最近、鉄瓶でお湯を沸かせていません。家から出ませんが、猫の世話で家の中を走りまわっています。リンパ腫を患い、皮膚炎をこじらせている17才のお姫様の楓は、目を離すと脚を舐め壊し、大出血します。彼女たちのお世話で、正直へろへろで、部屋も荒れに荒れています。
それでもようやく、自分のためにがんばろうと、この夏から復活の兆しが現れました。二度と現れないと思っていた、魂です。
雨の話に戻りますが、私は雨が嫌いではありません。だれかに「今日はあいにくのお天気ですね」「やっと雨があがりましたね!」と言われるたび、今でも心の中で、「雨、好きだけどな」とつぶやきます。
2020年から2021年にかけて、長く入院していました。術後の歩行訓練時に若いリハビリ師さんが言いました。
「天気悪いですね~」
私は答えました。「雨、嫌いですか?」
思わぬ答えだったのでしょう、彼女はとまどって、え、好きな人なんているんですか?といった。
たぶん、いると思うのです。だって雨は、心に静けさを運んでくるから。日中の音はすべて、様々な人が社会で生きている音たち。歩く音、車の音、笑い声、犬の鳴き声、工事の音――それらがすべて、雨の日は、ひっそりと姿を潜める。
(もちろん豪風雨までいくとまた怖いのですが)
この静けさが好きでした。雨だけが様々に音を作り出す。おばあちゃんちの部屋で寝転がり、庭に降りしきる雨のドロップ音を、静寂の中、それだけに耳を澄ませた。そんな高校生だったころの私を思い起こす。
ガラス窓を伝う、雨粒が作る道筋を、ただ見つめていた。
雨は私にとって労りの音。静けさを取り戻すメトロノーム。そんな感じで、書かれた言葉たちでした。
そして泣けない自分の代わりに、そのすべてを流してくれるような。
今でもその感覚は、消えていません。
*
最後に、第一回引きこもり文学大賞(作品1「つうじょうじん」にて)を受賞された山添博之さんが2021年に作成された動画を、紹介します。
掲載するにあたり、山添さんよりお言葉をいただきました。
「この作品は、世界各国の引きこもり11名の体験談を紹介した引きこもり達自身が制作した作品です。この世界の表層からは見え難い彼らの存在を、この作品を通して知って頂くことが出来れば幸いです。山添博之」
67分ほどあります。11篇の映画を見たような気持ちになりました。HIKIKOMORIの期間は人それぞれですが、そこへ至る背景、そこから脱するとき。流れる人生の短くて長い「刻」の一部をこのような形でまとめておられる活動に、心動かされました。
シンパシーという言葉は、ギリシャ語の「syn(一緒に)」と「pathos(苦痛)」からできています。この感情を感じることは、互いの痛みのケアにつながると信じます。渦中の人も、そうでない人も、すでに脱した方も、「見てみようかな」と気持ちがふと動いたのなら、ぜひご覧になってください。
■GLOBAL HIKIKOMORI Our Stories.(CH:Hiroshi Yamazoe : Hikikomori)
ありがとうございました。
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