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“Frederick” ちょっと かわった のねずみの はなし #絵本 #レオ・レオニ
こんばんは! マシンがいかれました! む~ん。こまったね。にじのです。
大変ご無沙汰をしてしまいました。えー、なんだか時間があっというまにたってしまいますね。
そんなことではいけないと、おだやかな話題をひとつ。
今日は四冊目の絵本のご紹介です。
前回までの絵本に関する記事はこちら。
◆一冊目:ぼくを探しに シェル・シルヴァスタイン
◆二冊目:アンジュール ガブリエルバンサン
◆三冊目:虹の橋
レオ・レオニがもっとも有名かもと思うのは、「あおくんときいろちゃん」でしょうか。
レオ・レオニの名前に覚えがない方も、「あおくんときいろちゃん」ときけば、「ああ!」と思う方も多いのではと思います。
さてこの絵本、谷川俊太郎さんのすてきな邦訳がつけられているのですが、ざっくりいってしまうとね(にじの、またか!)、「あり と きりぎりす」の逆バージョンなわけです。
勤勉に働くことのない一匹の のねずみ がいます。それがフレデリックです。
フレデリックは、いつも自由です。
「フレデリック どうして きみは はたらかないの?」 みんなは きいた。
「こう みえたって はたらいてるよ。」と フレデリック。
「さむくて くらい ふゆの ひの ために、ぼくは おひさまの ひかりを あつめてるんだ。」
すわりこんでいるフレデリック。
ねむりこんでいるフレデリック。
働きもののほかの4匹の のねずみ たちは、フレデリックに聞きます。
「ゆめでも みてるのかい、フレデリック。」
みんなは すこし 腹を たてています。
「いろを あつめてるのさ。ふゆは はいいろだからね。」
「ちがうよ、ぼくは ことばを あつめてるんだ。ふゆはながいから、はなしの たねも つきて しまうもの。」
そして、冬がきて雪がふりはじめます。
4匹がたくわえた、たくさんのたべもので 5匹ののねずみは、たのしくぬくぬくと暮らしていきます。
しかしやがて、すこしずつたべものはなくなります。
いしがきの なかは こごえそう、 おしゃべりを する きにも なれない。
そこでみんなは思い出します。フレデリックが集めていたという、いろやことばはどうなったのかと。
フレデリックはみんなに、目をつむらせて、色と言葉を紡ぎはじめます。
目をつむったみんなには、あたたかいおひさまの光や、のいちごの緑の葉っぱなんかが見えます。みんなは、こころのなかにぬりえでもしたように、はっきりといろんないろを見るのでした。
心のなかに、色をみる。動きを見る。あたたかさを感じる。匂いを感じたり、うれしさにぎゅっとしたり。
最近こう言っていただくことがありました。「洋画をみているようでした」わたしたちにとっては、とてもとても嬉しいお言葉でした。小説の形をかりながら、映像を紡いでいる意識をもっているわたしたちにとって、文字に映像を投影させること。それは五感を駆使して味わうしかない、トータルのリアリティです。実現できているかはわかりません。しかしそれを目指しています。
さむいとき、おなかがすいたとき、言葉の持つ力、そして、色の持つ力。
心の栄養。ざっくりいってしまうと、元も子もないですよね。アリとキリギリスの逆バージョン?そんなのきれいごとだし?そうかな、やっぱりそうかもしれない。平和だからこそ、そう思えるのかもね。でも、本当につらい事実を乗り越えるとき、それは心のうちに、光を見出すしかないと。わたしたちは思うのです。
フレデリックは、あかく なって おじぎを した。
そして、はずかしそうに いったのだ。「そう いう わけさ。」
”そう いう わけさ。”
ありがとうございました!
おやすみなさい。みなさんのこころに、あかるいおひさまが、のぼりますように。
nijino noran.
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