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それははたして、ニアリーイコール❝0❞なのか。
今日も例によって、とりとめないです。先に言っておきます、すみません。
「気力」について書きにきました。今日はちょっと雨がふってました。袖なしのダウンベストを着込んで自転車に乗りました。濡れたサドルで、ジーンズのお尻は冷たいです。それでも、漕ぐ腿の筋肉は、熱さを感じています、しっかりと。――そんな微妙な季節です。
人間は、いえ、生き物は、代謝する存在です。自然の摂理によるならば、代謝とは、合成と分解からなります。そして合成するには、インプットが必要です。インプットなき合成は、いずれ枯渇します。早々に。それほど、もちません。
生命維持だけであるならば、それは、ブドウ糖でもよいのでしょう。鼻から、米の煮汁を流し込んでも、生きてはいられるのかもしれないですね。さてそこで、人間の煩わしさが頭角を示します。「生きる」についてです。
ただ、息をして、心臓が動いているだけで、人間は「生きて」いると考えない。その活動は、生命維持だけにとどまらず、意思や目標に通じるものでなければ、と。
クオリティ・オブ・ライフ?
はっ、生きづらく、なったものですね。もう、何千年もまえから? いえ、数百年ほどなのかも、しれないですね。いえ、地球や宇宙のいずれかでは、まだ、依然として、生きづらくないフィールドも存在しているのかもしれません。私たちが知らないだけで……。
すいません、またか、酔ってます。酔ってるときしかこんなの書かないのです。また、嫌われますね。はっ。めんどくさいですね。
人は潰れます。いえ、ぎりぎりのところをいえば、人は、潰れる、本当にギリギリのところで、逃げる本能をきちんと持っていると感じています。もう無理だという真意は、「これ以上は、もう1ミリだって無理だ」――と。ということは、あと1ミリだけの、猶予が残っているのだ。と。
しかしその猶予は、危険です。本当に危険です。1ミリって、ミリって、わかってますか。その単位さえ、あやふやなことを。
逃げればいい。いえ、むしろ、逃げなければならぬときがある。それなのに、人は、無理をするのだ。逃げてはならないと信じ込むのだ。
この先は、もうわかっているでしょう。そんなことを言いつつも、自分を追い詰め続けている、自分自身でさえが。言葉とは裏腹な態度をとり続けている。
このままでは破滅だ、終わりだ――そう思ったところで、人は這いあがる。それほどのタフネスさも実はある。しかし、だけど、危険と、背中合わせなのだ。
危険ってなんですか。危険ってなんですか。
なにいってんの、わかってるでしょう。笑える。
いえわかりません、本当にわかりません、おしえて、くださいよ。
あほらしい。
おしえてくれないのですか――。
違う、違うんだ。
代わりに言ってあげる人が要る。
休めって、とにかく、休めばいいから。
大丈夫だって。逃げやしないから。
信じられないでしょう。ききたくないでしょう。
それでも……。
明るい夜に、おやすみなさい。
清流の国ぎふショートショート文芸賞 受賞式・講演会へ行ってきました。
清流の国ぎふショートショート文芸賞の授賞式と、特別審査員を務められた米澤穂信さんの講演会に参加するため、岐阜県図書館に行ってきました。 …