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暮れのげんきなご挨拶。
暮れのげんきなご挨拶。って急に思い出しました、サラダオイルは使いませんがにじのです。
お久しぶりです。こんばんは。
ちゃんと、感謝の気持ちをお届けしたいと思うのに、どこかでどっかり甘えているにじのです。ダメですね。
でも甘えてもいいじゃん、だってがんばってるし、とかも思ってたりなんかして、ダメですね。
そんなダメダメですが、最近ワインはガストでもサイゼリヤでもなく、タカムラにお世話になってます。安いですなあ。酔っぱらいますと、食欲中枢がおかしくなるから、あんまり飲まないほうがいいとは思うんだけど、わたしは酔うと、筆が乗るんですなあ。ゲン担ぎしがちな自分ですが、自制心や理性の強すぎる傾向にある自分にとって、もしくは、躊躇いや、切り捨てがことごとく苦手な自分にとって、――酔っぱらってるくらいの方が人生うまくいく――かどうかは、おいといて、それは過去の話ですが、まあそんなこんなで、酔っ払いです。こんばんはー!
☩
感謝とか、ありがとうとか、ごめんなさいとか、いろいろありましたとか、とても、素面では書けません。
2017年。本当にいろいろありました。ありすぎたような気がします。ガラガラと色々なものが音を立てて崩れ、足元を消し去り、濁流に飲み込まれ、息を吸おうと泥を吸い、目指してたはずが、闇の中。
そして消えない自分。
見苦しくて消え去りたい――こういう感覚を持つ人は少なくはないと思います。なぜ見苦しいと、消え去りたいのか。そこが論点なのですが、そこは盲目であることが、多いのでは、ないでしょうか。
見苦しくて、どこが悪い――それをアピールしては、それも、見苦しい。
延々と、人は、社会の中で飲み込まれるつもりなどかけらもないのに、飲み込まれて、翻弄されて、生きてたり。
自分は――どうなんでしょう。
社会は、どうでもよくはない。社会が、大事でなければ、きっと小説など書かないのでは?
無人島にただひとり、いたら、わたしは何を、しているか。
考えます。
無人島にただふたり、いたら、わたしは何を、しているか。
考えます。
無人島にただじゅうにん、いたら……?
一人ずつ増えて、社会の定義は、なんでしょう。
何をかくつもりできたのか、それは、感謝の気持ちを伝えることと、一応の、2017年の最後の記事を遺すために。
多くの出逢いと、別れと、苦しみと、喜びと
さよなら、ありがとう、こんにちは、さようなら。
ありがとう、すべてのひとに。
来年もよろしくとはいえないかもしれなくても、
自分にだけはせめていいたい。
来年もよろしく。
つきあうしか、しかたない。
結局誰にも、感謝のきもちさえ、伝えることなんてできる気しない。
めっちゃ言いたくても、それでも、生きてんだなあ。
n.
清流の国ぎふショートショート文芸賞 受賞式・講演会へ行ってきました。
清流の国ぎふショートショート文芸賞の授賞式と、特別審査員を務められた米澤穂信さんの講演会に参加するため、岐阜県図書館に行ってきました。 …