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共感と反感と。
空と楓という名前の猫を飼っています。
この二人は兄妹で、一緒に保護してきましたが、ふたりとも見事に性格が違います。
楓は愛を疑わない。常に愛を疑わない。愛されていることを疑わない。どんなときでも自分の欲求を露わにして要求します。
空は待っている。相手の気持ちを汲んで、タイミングを待っている。そして辛いときに寄り添うのです。要求はしません。常に配慮して、待っています。
空は本当に人間臭いなあとおもう。でもときに、人間以上のやさしさをもっているのだと感じます。このやさしさを私は持てているだろうかと。
ネコみたいだという言葉。猫を代名詞としてつかうとき、それはおそらく「わがまま」とか「気まま」「自由」――そういう意味で使うでしょう。
でも空にいたっては、わがままでも気ままでも自由でもない。
こんなネコもいるのですが……。
すこし逸れたかな。共感と反感と、と書きました。
その昔、いえ、わたしだけでなく多くの人は、反感を受けることをおそれて、ときに恐れるあまり、本意ではないことに同意したり、相手に合わせたりします。わたしはそうでした。言いたいことがあっても、言わなかったり、それは、円滑な人間関係を保つためには必要な作法だとも思います。
自分が思うがままのことを否定されたりしても、一切気にしないでいられる人は少なからず存在しますが、多くは、人と異なる考え方を持つことに後ろめたさを持ちます。とくに日本人はその傾向が大きいかなと思います。きっと島国で長年形成された遺伝子・文化の仕業だと感じます。
円滑な状態――この価値が、文化を存続するのにとても大きな意味を持っていた。
ここで話すことなのかどうかはわからないけど、2016年に書き始め、公募の応募のためにTwitterをはじめて、WordPressを始めました。WordPressを始めた理由は、FaceBookとTwitterの両方に同時にpostできることでした。TwitterからFacebookに自動ポストする機能はあるのですが、個人アカウントへのポストのみで、Facebookの「ページ」への投稿ができなかったので、WordPressを使おうと思いました。ツールとしてです。
いつしかなぜか発進の場としてこうやって運用することになりました。
いろいろと言われました。ここでこんなに語るのはもったいないとか。小説にそそげばいいのにとか。
ここで語ることじゃないかもしれませんが、Twitterを初めてすぐに、何名かの方にブロックされていました。やりとりもないのだけど、なぜか目障りだったのでしょう。今でもたまに目にします。話したこともないけど、ブロックされている。気に喰わないのでしょう。
理由を考えたりくよくよしたりもしました。どうしてだろう、なにかしたのだろうか。
語れば語るほど、アンチは増えるかもしれないけど語っていいと言われたことがありました。アンチが出て初めて本物だとも。
アンチがいるなんてまだまだ大袈裟です。でもその覚悟がすこし、ついてきました。
まだまだ抑えているでしょう。
何人かから言われました。抑えているつもりはなかったです。でもきっと嫌われることを恐れて、抑えていたのでしょう。
何がきっかけか、それは置いておいて、抑えなくていいかと、ようやくその思いにいたりました。
極端なことをいえば、間違いを犯しても、抑えないことで破滅に向かおうとも――。
極端なことをいえば――。
目的にたどり着くためのプラニングと、我慢ということが、私は苦手なようです。
刹那主義も快楽主義も、マイナスイメージがありますが。
明日死ぬかもしれないと、本気で思えるひとはそういません。
いろいろと。
n.
清流の国ぎふショートショート文芸賞 受賞式・講演会へ行ってきました。
清流の国ぎふショートショート文芸賞の授賞式と、特別審査員を務められた米澤穂信さんの講演会に参加するため、岐阜県図書館に行ってきました。 …